ミソラノオト

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今さらながら

40代に入ってもう何年も経っているというのに
いまだにファッション難民だ

40代の声とともに
急にあれこれが似合わなくなり、
かといって試行錯誤をしてどこかに落ち着いた、ということもなく
いまだに毎年困っている。特に夏!!

この前も姉と買い物に行き、
お、これいいじゃない!なシャツを見つけ、
この色、この形、間違いない!と思いつつ
念のため試着したらとんでもなく似合わなかった。
「大人の女性」になるはずが、ただの疲れた中年女性がそこにおり
姉からも「・・ああ〜」と声が漏れた。
地味な色味は若さ、もしくは若々しさという輝き補正があってこそなのだな


派手目のシャツはやり手のマッサージばばあになり、
これだけは裏切らないと思っていた
ど定番の紺のVネックは「これからオペですか?」になってしまった。
なんというか・・体に貫禄がつきすぎてる!


中年になると、着物派、アジアワンピース派になると聞く。
それはもっと先、60才くらいだと思っていたけれど
もう早々にその扉を開けてしまうしか無いのか!?
と思ったけれど、
ぐっと留まり、
・・・痩せようと思う
年代のせいではない。痩せれば諸々は解決なのだ。きっと。
この貫禄、貫禄を無くしたい!ヒラで結構!


さっそく朝と夜に近所の公園をウォーキングしようと思ったけれど
東京は雨・・
せめてアイスと夕飯は控えようと思う・・




放流の夏

突然に手相をみることが解禁になった。

私のは線も読むけれども、
半分は手のひらが語ることを聞く感じなので
こんなものを手相と言ってはいけない!と
何となく自分の中で禁じていたけれど
ここにきて解禁!放流!
その日は突然にやってきた。

その頃雑誌で手相特集をしていて、見てみたら
「手のひらは大地
 手相の線は「気」という水が流れる川」
との一節があって、
ああ!なるほど!と感激した

私が一番好きなのはクラニオセイクラルというボディーワークで
これは体にそっと触れて脳脊髄液の流れをよむ、というものだけど
クラニオも手相も、私は人の中に流れるものを見るのが好きなのだなあ。
さすがうお座!
放流!という感覚も、きっとそれゆえ
泳げるものが楽しいんだろう。


脳脊髄液同様、手相も可愛らしいもので
よくしゃべる。
なるほどねえと聞き、
いいねえ、いいねえ
なんて言うと、
やる気の線がその場でぐぐっと育ったりするのが
カラダの不思議・・愛しいところ


ただ、その会話を言語化して人間に伝えるのが難しい
というか
言葉にすること自体、あんまり好みではないので
そこが私の
「液体の言葉を聴くのが好き」のただのフェチ枠を出れないところだよな
と ふがいなく思っていたけれど
縁あってクラニオやら手相を見させてくれた人は

「・・なんかよくわかんないけど・・」

と前置きをしたうえで、
受けてる最中こんなことを感じた、誰かと会話してきた、と、
言ってくださるので
本当は皆、私など挟まなくとも
自分の内側の水の声をちゃあんと聞いているのだし
「言葉にせねば!」
なんてプレッシャー感じることなんてなかった


ただ泳いでいればそれで良いこともあったんだなあ
なんてことを思う46の夏の放流








つれづれ

1つ前のブログにある通り
少し実家に帰っていたのですが、
ちょっとした変化があったのです


帰省した時には必ず親のマッサージをしていたけれど、
今回、初めて母にヒーリングをしました
ひょんなことから。なんか。しれっと

それまで親にヒーリングするなんて有り得なかった。
マッサージしつつエネルギーを流す、ことはしていたけれど
完全に「0」になっての、
・・その動き、何なの?なコッテコテのヒーリング

そう。今まで自分がチャネリングだ、ヒーリングだとすることを
親には言っていなかったのです。
子どもの頃から妖精みたり、葉っぱと話していたのは親も知っていたから
そういう子か、とは思っていただろうけれど、
事あるごとに
「イタコみたいな見えない世界の仕事はしちゃいけない」
としつこく言われていたので、とても言えなかった


それが、「やるべし!」と思う間もなく流れでそうなって
終わった後に
「あなたの手はいいよねえ。」
としみじみ言ってもらえて、

ああ、なんだ

簡単なことだった。

全然怖いことでも大変なことでもなかった。

なんかビックリだったなあ。。しみじみ・・



ビックリといえば
帰省中に高校の同級生に偶然会ったんだけれど、
20年ぶりの再会なのに
お互いに気づいたことにビックリ。
太っていようが老けようが、
「まとっている何か」みたいなものは変わらないものなのだなあ。
さらに衝撃だったのが
その友人に孫がいたこと!!
もうそんな年代!?


そしてもうひとつ驚いたのが
3日たって東京に戻ったら
息子の背が伸びていて
制服のズボンがつんつるてんになっていたこと。
クラスでも「あれ?なんかデカくなってない?」と言われたそうで
保健室で測ったら175超えていたそう・・
たった3日でぐんぐんと大きくなってしまうなんて
「いきもの」って感じ。


当たり前だけど
時は流れているんだなあ・・




あの雲にのって

父の命日にあわせ、3日ほど帰省してきた

命日が近くになると、母はいろいろ思い出しナーバスになるのではないか、
と思い様子を見ていたけれど
思いの外元気で
仲の良い友達の家へ出かけたりしていた

でも段々と、その日へのカウントダウンが始まると
どうも声が暗くなってきたので
ちょっと顔を見に帰ってきた

高円寺で飲んでからの新幹線で仙台
そこからの福島

未だに、道が繋がってるってありがたい!と思う
震災の時は帰るのが本当に大変だったもの

話し相手がやってきた、と思うだけで母の気持ちは明るくなったらしく
よーく喋った。
父といった旅行の話やお婆ちゃんが病気になった時の話
玄関のツバメの巣がカラスに壊された話や、
病院で習った肩こり体操が効いている話など。
連日母はよく喋った。

父が亡くなったその時間も
私が(ああ、去年の今頃・・)
と思っているのをよそに
母はしゃべりにしゃべり、少ししてから時計を見上げて
「ああ、もうお父さん、逝っちゃったね・・」
と呟いたりした。
母はそれに気づかないように喋っていたのかもしれない。




母が

「そういえば、病院から連絡が来たとき、
 あんたら(私と息子)、空みて笑ってたけど
 あれ何見てたのかね?」

と聞いてきた。

父の入院先から至急来てください、と連絡が来たとき、
私と息子は近所のスーパーに買い物に出ていた。
スーパーから出たとき
目の前の空にまんまるな雲が出ていて、
まんまるの雲なんて見た事なかったし、
それが夕焼けに染まってオレンジ色でとっても可愛くて
息子と一緒に見上げて笑っていたのだ
笑っていたところに、母が「病院行くよ!」と迎えに来たのだった

その雲の話は母にした事あったけどな?と思っていると

「ああ、その話、前にも聞いたよね。」

と母も思い出し、
なんで今そのこと聞こうと思ったんだろう、と呟いたあと

「お父さんは、その丸い雲に乗って行ったんだべなあ」

と言った。

私も

「そうだねえ。乗って行ったね
 すごく可愛い雲だったから いい場所に行ったね」

と笑ったあと泣きたくなった。

そうだ あのまあるくて可愛らしい雲は、
父の乗りものだ


お父さんはあの雲に乗って行った

母がその言葉を自然と出すには
この1年の月日が必要だったんだろう






うお座の私

地味ながらも日々いろいろあって
SNSに、ブログに、と思っても
追いつかない

閃いたことも、煌めいたことも
すぐにどんどんと日常になる


そんななかでひとつ 思ったこと


私の星座のうお座。うお座ってよく

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こういった、リボンで繋がれた2匹の魚
で表現されます。


うお座の神話

川べりを歩いていた親子が化け物に襲われそうになって
とっさに川に飛び込み 魚に化けた。
そのときにふたりが離れ離れにならないよう、
お互いの尻尾をリボンで繋いだ



このリボンで繋がれたふたり、っていうのが
いつも心のどこかで引っかかっていたように思います


うお座の特徴によく
優しさ/激しさ、超夢見がち/キッパリ現実的
・・といった「二面性」が挙げられるけれど、
その自覚は大いにあり、時に自分で自分に振り回される。
私の中にはメルヘンと悪が混在しているのだ。

他人事なら、そこがあなたの面白いところだよ、と思えるけれど
自分にとっては混乱の種で、
その度に

ああ、私んなかには魚が2匹いるからな

と リボンで繋がれた2匹の魚 を
扱いづらさ、
片方が動こうとすると片方がストップをかけるような「不自由さ」
の象徴のように感じていたけれど

ここにきて

あれ?2匹の魚はボケとツッコミではないか!

と思ってきた。

なんだかんだは はしょるけれど、
最近、「笑っちゃった方がいいな!」と
辛く見えようが感じようが、なんだかんだ笑っちゃえー
と思うようになったから出てきた発想だと思うけど
そう思ったら、そう
今まで深刻だった内面の矛盾もギャグでしかない


自分の中のわちゃわちゃも
魚のボケとツッコミが今日も賑やかに騒いでると思うと
なんだか愛しい
自分の中に巣食っていた、あの扱いづらい化け物が愛しいものになろうとは!
人生は愛しいギャグなのだなあ