ミソラノオト

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プルニーマ

満月でした。

あるブログに

今月の満月は
「封印を解除し、魂の約束を思い出す」満月

とのフレーズがあり、
なるほどと思った。


ベランダで風に吹かれながら
満月を眺めていたときも
いや、昼間のちょっとしたときにも
このところ、ふと
私なんでこんなことに拘ってきたんだろう
というものがいくつも湧いてきた。

いつから?どうして?と
元となったことを追いたくなるけど、
そんなことはもうどうでもいい。

その時にはそう思うのが必要だっただけのこと。
今にもう必要ない、と気がついたのならそれでいい。
湧いてきたわだかまりは、
風に吹かれて全部捨てた。

それがまさに「封印解除」という感じだった。
これも満月の作用だったのかもな





左官職人の挾土秀平さんの話を思い出した


挾土さんは今では有名なホテルや施設等を手掛けているけれど、
13年前に会社を独立したときには
先のことがまったく見えない状態だったそう。

そのとき、アリゾナから
「左官の講師として来て欲しい」
と依頼がきます。


そこで何をするのか、
自分がこれからどうなっていくのか
まったく先が見えない状態で向かったアリゾナ。
広大な地から見上げた空は満月で
挾土さんは

これは月じゃない

空に穴があいている


これは出口だ



と感じたそう。


自分は殻を破っていくタイプの人間じゃないけれど
ここから出るためにはそれじゃいけない、と
そこからアリゾナの地にインスピレーションを得た作品を
次々に発表し、いまの活躍に繫がっていく・・

と、いったことを紹介した番組を
思い返していました。


空に出口を見るって、すごい。


私は月に出口は見つけられなかったけれど、
今日、17年ぶりに会った人がいて、
そのおかげで、
どうしたって愛しくて手放せなかったものを
思い出した。


今月の満月のキーワードは
「封印解除」
の他に
「魂の約束を思い出す」
というキーワードもあるそう。

まさに。


思い出した約束を大事にしていけますように





つれづれ

父が亡くなり、
相変わらず寂しい気持ちは消えないけれど、
それでも日々は過ぎ
東京は暑くなり、
セミもなき始めた


お世話になっていたレンタルルームが閉じることになり、
これも流れか、と
6月はさよならボディーワークキャンペーンで
少し仕事をし、
いまは料理をしたり刺繍をしたり
ご隠居みたいにゆっくりしている。

こんなグータラで良いのだろうか、早くやる気を起こさねば!
と焦りもしたけれど
どうせ暑いし
やる気なんて涌く時には涌いてくる、と信じて
じたばたしないことにした。

すると、頑張らなきゃ、と思っていたときよりも
かくだんに心が元気になってくる不思議。
やはりその時の本当の気持ちに添うのが良いのだなあ
些細なようで難しいことではあるけれど。


かなしい気持ちは
時々どうしようもなく押し寄せるけど、
幸せな思い出にこころが温かく日もあれば
怒りや後悔がこみあげる日もあり。
こうやって季節みたいに気持ちを
順繰りじゅんぐりとして、
そのうち落ち着くとことに落ち着くのだろうか

・・と思ったら
数年前に同じく父親を亡くした友達が
「いやあ、私はいまだに思い出して泣くね!」
と言っていたので
いつまでたっても泣くのかもしれない。

でも、その友人が
「でもね、泣いてると、いい香りがしてくるの」
「あ、そばにきてくれてる!って思うんだ」
と言って笑ったのを見て、泣いた。





夢の中に自分が出て来た。

知り合いが密着取材を受けていて、
それがテレビで放送される、というので見ていたら
主役の後ろの方に私と友達がちょろちょろと写っていて
楽しそうに笑っていた。

それが子どもみたいな顔だったから
「わたし、こんな顔して笑うときもあるのかー」
と、テレビを見ている私が
それを夢で見ている私が
びっくりした。
そして嬉しくて、なんか癒された。
お腹のなかにある火、というか
活気とか、創造のもと、みたいなものが
ぽっと灯ったのを感じた。

あたりまえだけど、
やっぱり私には私が笑っていてほしいのだな


息子の試験も終わり
お疲れさま、ということで外にご飯を食べに出た。

家族3人そろうのは久々で
それでもう「特別な時間」な感じがしたけれど、
おつまみに頼んだ川海老の唐揚げを食べたとき
その味に
一気に、子どもの頃の「特別な時間」の記憶がよみがえった。


この「特別な時間」の記憶は父がいた時間だ。



父は長いあいだ単身赴任をしていたけれど
月に何度か帰ってくる日があった。

帰ってくる日は
母は沢山の料理を作り、
私たち姉妹は念入りに家の掃除をした。
父はとても厳しくて、
部屋が汚れているとものすごく怒られたから。

小さい頃から父が家にいなかったので
私は接し方がわからず
部屋を念入りに掃除する一方、
これを置いたらお父さんは喜ぶかしら、と
お気に入りのぬいぐるみを茶の間にそっと置いては
「おもちゃを置きっぱなしにするな!」
と叱られ、
カーテンに隠れて泣いた。

不器用な子どもだった。
お父さんが帰ってきて嬉しい、の気持ちを現すのが下手だった。


それでもいつもより賑やかな食卓は嬉しくて
父のために並んだおつまみを少し味見させてもらっては
食べたことのない味に心が華やいだ。


その時間のことを思い出した。


「この川海老は土曜の夜の味がする。 
 お父さんが帰ってくる日の味だ。」

と思わず言葉に出たけれど
夫も息子も意味がわからず
なに、それ、と笑っていた。
でも、私はその時間に触れてしまったから
泣けて泣けて仕方がなかった。

記憶が
味で、香りで、皮膚感覚で
立体的に思い出されてしまった。


父が帰ってくる日のことは
「また叱られるかも」
とビクビクした記憶の方が濃いように思っていたけれど、
思い出してみたら
自分がどんなに父に会えるのを楽しみにしていたか
どんなにそれが特別な時間だったか、がわかった。
わかり過ぎてしまった。


叱られてばっかりで
置いたぬいぐるみも、
伝わらなくてカーテンにくるまって泣いたのも
思春期になって
私はお父さんに嫌われているから、と
思いこむことにして逃げたあの日々のことも、
ぜんぶ根っこにあったのは
「お父さん、こっち向いて」で
「お父さん、大好き」
だった。


表現の仕方がわからず隠れていた気持ちが
どんどんとむき出しになってくる。


私はお父さんが大好きだったんだ。




そんな父もひと月前に天国へ旅立ってしまった。


夕焼けの中に三日月が輝き始めたころ
静かに旅立ってしまった。




私は親に対してだいぶ拗らせた想いを持っていたから
ずっとずっとその気持ちをほどくのが大変だったけれど、
その旅ももう終わって、
この十数年はとても平和だった。

怖がらず、遠慮せず
父となんでも話せるようになって、
帰るたびに父をマッサージしたり、ドライブしたり
安心して「娘」として生きた。

拗らせていた時間の方が長かったかもしれないけれど
それでもこの十数年は幸せだった。
いや、ずっとずっと幸せだった。


もう戻ってこない時間は
どうしてこうも愛しくて寂しいんだろう

父が、
姿が無くなってもずっと父であるように
無くなった時間だって
ずっと私の中にあるのだからいいではないか、
と わかっているけれど
あの「特別だった時間」の記憶は
まだまだ胸をしめつける









『ネコメンタリー 猫も、杓子(しゃくし)も。「角田光代とトト」』
という番組を見た。
とっても良かった。

なかでも番組内で朗読された『任務十八年』が
とても良くて
猫と、いや、命あるものならなんであろうと
生活するってこういうこと
命が出会う不思議
ふれあってしまったことの愛しさがあふれた話でした。

『任務十八年』で検索すると全文出てくるので
是非見てみてください。
出来るならこの番組の動画があればいいのにな。
戸田恵梨香さんの朗読もとても素敵だった。


この番組で猫が恋しくなり
本棚から猫の本を取り出してみた

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「作家の猫」シリーズ (他の作家のおやつ、作家の家 もおもしろい)

このあたりは有名な作家と猫写真かも

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室生 犀星
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大佛次郎


ほかにもいろんな猫との生活がたくさん。

どの写真も気取った感じはなく
いつのまにか猫がするりと生活に入り込んできたような気軽な感じと
作品とは印象が違う作家の姿を感じられるのも興味深い


そういえば、と
自分は大人になってから猫と一緒に撮った写真が無いことに気がついた。
子どもと猫、猫とナニカ、みたいなのはあるけど
猫と私、は無い。
思い出せるだけで1、2枚あるかないか

撮ってくれる人がいなかった、といえばそうだけど、
多分、己の姿を残すのが嫌で撮らなかったんだろう。
いま思えば己の多少の不細工さなどどうでも良かったのに。
くだらない。
いつまでも一緒にいれるわけでは無いのだから
もっと沢山一緒に写真を撮れば良かった。


もちろん記憶のなかには沢山の映像があるけれど
それでも残るものが恋しくなる、というのは
年を取ったのかもしれない。
さよならが増えたからかもしれない。





つれづれ

寝てばかりいる

寝ては起き、
ご飯の支度をし、また寝て
また起きては さっと買い物に行き
また寝る

3月からあまり寝ていなかったから
それを取り戻すかのように
取り消すかのように
寝てばかりいる

生活の円グラフを書いたら睡眠でシマシマで
ちょっとおかしいのかもしれない


欲なんか失せたと思ったけど
通りかかった阿佐ヶ谷で小学生に朝顔の苗を貰って
これを育てよう、と欲がわいた

これを育てて、大きく窓辺にはわせよう。
花が咲いて、種が取れたら
お礼の手紙を小学校に出そう

そのときの私は寝てばかりじゃありませんように


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