ミソラノオト

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先の灯り

起きしなのぼんやりとした時間は
いつだって何かのカケラをはらんでいて

夢か現か誰かと会話をして
ああ、そういうことか
と問題がひゅるりと解かれたりします。


先日、
ここのところずっと引っかかっていたけど
見ないフリしていたであろうことに
ガツン!と気がついた。

それは、
「私は私がキライ」
ということ

家族にも感謝しているし
動いてくれる両手足、体があるのは有り難いことだと思うけれど、
どこか
「私は醜い生き物だから早く消滅したい」
という救いようも無い気持ちもある。

でも、人の心は「言葉通り」ではないから
「醜いから消滅したい」
のうしろには

「私が消滅することで、誰かに後悔の痛手を負わせたい」
とか
「消滅することで、こんなに苦しんでいたんだというアピールをしたい」
が 意識のどこかにあるんだろう

こころは体を巻き込む

出来るなら消滅などと思わず
「私苦しいんです」と言葉で言いたい。
体に溜め込まず、巻き込まず
こころと体は身軽でいたい

まあ、そんな仄暗いことを思いながら
そうえいば、と。
いったい私の良いところってなんだろう?
と思いながら休んだ日のこと。

夜があけ
起きしなのぼんやりとしたとき
いつもヒントをくれる誰かが
「あなたの良いところは好き嫌いが無いところです」
と教えてくれた

なるほど私には食べ物の好き嫌いは無いなあ。

でも、こんな小学生の
「好き嫌いなくなんでも食べます」
みたいなの、どうなの??

でも、ありがたく受け取ろう。
そして今日も好き嫌いなく食べよう。


病院(風邪ひいた)の待合室で見た雑誌に
あるパン教室をしている方のインタビュー記事があった。

その方は20代で出産してから鬱になったり
40代で病気が見つかって苦しい思いもしたけれど、
50代になった今、やっと自分が好きになってきたのだそう。

40代のいい大人が
「私は私がキライ」
って、救いようが無いというか往生際が悪いというか
どうなわけ?と思っていたけれど
同じように思っていた方がいて、
さらに
「50代になってやっと自分を好きになった」と言ってくれたこと、
先に大きな灯りを見つけた気がしました。



そうそう。
こころは体を巻き込む、ということ。

「私は私がキライ」というのを
教えてくれ、それがせつないせつないと泣いていたのは
私の「手」でした。
体にも感情があるのよね。

どこにだって気持ちを示すものはあるし
どこにだって先の灯りになるものはあるんだろな


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